シモン・ケアー

  • name/シモン・トルップ・ケアー(Simon Thorup Kjær)
  • birth/1989/3/26(32歳)
  • height,weight/189cm,84kg
  • position/CB
  • place of birth/デンマーク
  • team,number/ACミラン,24
  • 市場価値/1080万ユーロ

今季8シーズンぶりにスクデットを獲得したミランにおいて、守備の要として君臨したシモンケアー。チームとしての平均年齢が若く、経験が浅いミランにおいて、イブラヒモビッチと共に精神的支柱としてもチームを引っ張り、デンマーク代表でも主将としてチームを引っ張る。そんな彼を今回は紹介していきたいと思います。

ミラン、ピッチ内外で好影響与えるDFケアーの買取に動くか?【超ワールドサッカー】

経歴

幼少期からFCミッティラン時代

デンマークのホーセンスで生まれた彼は、2004年に父がクラブのマネージャーを務めるデンマークのスーペル・リーガに所属するFCミッティランの下部組織に入団する。はじめはミットフィールダーとしてサッカーを始めたが、当時の監督にディフェンダーへの転向を打診され、ディフェンダーへ転向する。そして2006年に出場したフランスでのユーストーナメントにおいて最優秀選手賞を獲得するなどユース時代からその才能の片りんを見せていた。

そして2006年のデンマーク国内カップ戦であるヴィアセットカップにおいて、トップチームへの召集を受ける。さらに2007年には、レアルマドリードでのトライアルも受験し、同チームのスカウトの目に留まる。しかし、この時の獲得オファーについては移籍金が安すぎるということから、ミッティラン側から拒否されている。

そして2007年の9月30日対AGF戦においてリーグ戦のデビューを果たす。この試合で鮮烈なデビューを果たした彼にはプレミアリーグから熱視線が送られ、チェルシー、ミドルズブラなどからの興味が報道される。しかし、そこからはベンチを温める日が続く、結局このシーズンは公式戦21試合出場に終わる。

パレルモ時代(2008~2010年)

2008年2月16日にセリエAのパレルモへの移籍が内定する。移籍金は400万ユーロで、5年契約と報道された。入団当初はイタリア語の習得や環境への適応などに苦心した。しかし2008年10月26日の対フィオレンティーナ戦において後半からの途中出場でリーグ戦のデビューを飾ると、その試合で彼の才能を証明する。そして続く2008年10月29日対レッチェ戦においては初スタメンを飾る。さらに2008年11月2日対キエーヴォ戦においてリーグ戦初ゴールも記録した。そこからチームのセンターバックのスタメンを勝ち取り、この年のイタリア紙「ガゼッダ・デッロ・スポルト」が選ぶ最優秀U-21選手賞で2位に選ばれた。その後も2009年3月15日対レッチェ戦、4月19日の対ボローニャ戦でもゴールを決めるなどシーズンの後半戦はチームの主力として活躍した。この年は公式戦27試合出場3得点を記録した。

翌09-10シーズンもチームの主力センターバックとして活躍する。前半戦に17試合スタメンとして出場すると、2009年11月9日対ボローニャ戦ではシーズン初得点も記録する。さらにこの1年の活躍により、デンマークの2009年最優秀サッカー選手賞にも選出される。しかし年明けに負傷を負い10日間の離脱を余儀なくされる。しかし2010年1月24日の対フィオレンティーナ戦で復帰すると、そこからチームの守りを統率し、チームの最高順位タイとなるリーグ戦5位フィニッシュと、UEFAヨーロッパリーグの出場権獲得に大きく貢献した。このシーズンは公式戦38試合出場2得点を記録した。

VFLヴォルフスブルク時代(2010年から2013年)

2010年の夏、パレルモでの活躍を受けて、マンチェスター勢、トッテナム、ユベントスなどからの獲得オファーが舞い込む。そんな中彼は出場機会が約束されたVFLヴォルフスブルクへの移籍を決断する。移籍金は総額1250万ユーロといわれる。この移籍金は当時のデンマーク代表の最高額移籍金となった。移籍後、プレシーズンでも活躍を見せ、早々に監督の信頼をつかむそして2010年8月15日のDFBポカール対プロイセンミュンスター戦で公式戦初出場を果たす。さらに2010年8月20日のブンデスリーガ開幕戦対バイエルン・ミュンヘン戦でスタメンを飾りブンデス初出場を果たす。また2011年1月22日対マインツ戦ではリーグ戦初得点を記録した。しかしこの後は終始低調な試合も多く、チームの下位低迷の原因として糾弾されることもあった。そして最終的には15位でギリギリでの残留に終わる。この年、復帰したフェリックス・マガス監督によって、夏でのレンタル移籍を進められることとなる。この年は公式戦34試合出場1得点を記録

ローマ時代(2011年~2012年)
2011年夏、前年の低調さによってレンタルリストに載った彼にローマからの獲得オファーが舞い込む。そして2011年8月30日、ギリギリでの獲得交渉成立によってレンタルフィー300万ユーロ、買取オプション1000万ユーロでの移籍が発表される。ケアーは2011年9月17日対インテル戦でリーグ戦デビューを果たす。しかし10月16日のラツィオとのローマダービーで後半早々に退場処分を食らってしまう。さらにその後はけがなどにも悩まされ、さらにパフォーマンスも低調に終わってしまったために、買取オプションは行使されず、2012年夏にはVFBヴォルフスブルクに復帰することとなる。この年は公式戦24試合出場に終わる。

VFBヴォルフスブルク復帰

12-13シーズン再びVFBヴォルフスブルクに復帰した彼だったがベンチに座る機会も多くなかなか出場機会に恵まれなかった。そして最終的には公式戦24試合出場2得点を記録した。

LOSCリール時代(2013年~2015年)

2013年7月4日にリーグアンのLOSCリールへの完全移籍が発表された。移籍金250万ユーロの4年契約だった。そして彼は2013年8月11日のリーグ開幕戦対FCロリアンに早速出場する。そしてすぐさまチームでのスタメンの座を勝ち取ると、フランスの環境に適応し、チームの守備を安定させた。さらに2014年1月21日対アイリス・クラブ・ドゥ・クロワ戦で公式戦戦初ゴールを記録した。このシーズンチームとして38試合でわずか26ゴールしか許さないという堅守ぶりを発揮し、21回ものクリーンシートを記録した。またチームも3位に食い込み、来季のCL予選の出場権も手にした。この年は公式戦37試合出場1ゴールを記録した。

翌14-15シーズンにおいてもCL予選、リーグ戦ともにスタメンとして出場を続ける、チームは予選を勝ち上がったもののグループリーグ敗退でヨーロッパリーグに回ったものの、彼は守備のかなめとしてチームを引っ張った。この年はカップ戦でも準優勝、EL、リーグ戦と過密日程のために少しの間負傷離脱もあったものの、最終的に公式戦42試合出場3得点を記録した。

フェネルバフチェ時代(2015~2017年)
2015年の6月16日、トルコリーグのフェネルバフチェへの移籍が発表される。移籍金770万ユーロ、4年契約を交わした。そしてUEFAチャンピオンズリーグ予選の対シャフタールドネツク戦でチームのデビューを果たした。2015年8月23日対チャイクル・リゼスポル戦でリーグデビューを果たす。しかし直後足首のけがにより3週間の離脱を余儀なくされる。復帰後もトルコの環境に慣れず、批判の的にさらされることもあった。しかし徐々にパフォーマンスは改善されていき、2015年12月28日対シヴァスポル戦にてリーグ戦初ゴールを決めるなど、守備の要として活躍していった。このシーズンは公式戦45試合出場2ゴールを記録した。

翌16-17シーズンではチャンピオンズリーグ予選でキャプテンを務めるなどチームの主力として活躍。2016年8月28日カイスポル戦でシーズン初得点も決める。この後もチームを主力として引っ張り、チームの3位フィニッシュに貢献した。このシーズンは公式戦43試合出場3ゴールを記録した。

セビージャ時代(2017~2019年)

2017年8月2日、セビージャへの移籍が発表される。移籍金1250万ユーロ、4年契約を締結した。LOSCリール以来3年ぶりの5大リーグ復帰を果たした。2017年8月19日リーグ開幕戦の対エスパニョール戦にスタメン出場を果たす。さらに2017年10月17日のCL対スパルタク・モスクワ戦でチームでの公式戦初ゴールを記録した。しかしシーズン途中に背部への負傷を負ってしまう。その後も復帰と離脱を繰り返してしまう。このシーズンは結果的に公式戦27試合出場3ゴールという結果だった。

翌シーズンは8月13日のスーペルコパの対バルセロナ戦でシーズン初出場を果たす。しかしこのシーズンも負傷をくり返し、ベンチを温める機会も増えた。その結果前シーズン同様不本意な結果に終わった。このシーズンは公式戦37試合出場におわった。

アタランタ時代(2019年~2020年)

2019年9月1日にレンタルフィーなしで、アタランタへのローン移籍が発表された。2019年9月24日対ローマ戦でリーグデビューを果たした。しかしその後は出場機会が増えず、公式戦6試合出場に終わった。

ミラン時代(2020年~)

2020年1月13日にレンタルフィーなしでミランへのローン移籍が発表された。そして2020年1月15日対S.P.A.L戦でチームでの公式戦デビューを果たした。さらに1月17日対ウディネーゼ戦においてリーグデビューを果たした。そこからチームの守備の要かつ、精神的支柱としてチームに瞬く間にフィットした。そして後半戦無敗を果たしたチームを後方から支えた。このシーズンは公式戦19試合出場を果たした。

そして7月15日ミランへの完全移籍を果たした。移籍金350万ユーロ、2年契約を発表した。2020年9月22日対ボローニャ戦でのリーグ開幕戦にスタメンで出場すると、2021年UEFAヨーロッパリーグの対マンチェスター・ユナイテッド戦においてチームとしての初得点を記録した。この年は10-11シーズン以来のスクデットを狙うチームでディフェンスリーダーとしてチームをズラタン・イブラヒモヴィッチとともにけん引。最終的には2位に終わってしまったものの8シーズンぶりのCL出場権を得たチームにおいて主力として活躍した。このシーズンは公式戦39試合1得点を決めた。

代表歴

各カテゴリー別のデンマーク代表に召集され、2007年にはU-19のデンマーク最優秀選手賞を獲得するなど活躍した。しかしチームとして主要国際大会には縁がなかった。2009年2月デンマークのA代表に初召集されると、2010年W杯予選の代表にも選出されると、2009年6月6日対スウェーデン戦で代表デビューを果たす。その後順調に予選を突破し、2010年W杯本選にも出場を決め、代表にも選出された。グループリーグ第1・2戦にフル出場したものの、両試合で警告を1度ずつ受けていたため出場停止となってしまった。最終戦で、チームは日本に敗れ、2大会ぶりの決勝トーナメント進出はならなかった。またEURO2012にも出場したがここでもグループリーグで敗退を喫した。さらにW杯2014欧州予選の代表にも選ばれ、2013年3月22日の対チェコ戦で代表初得点を決めた。しかしW杯に参加はできなかった。その後2016年には代表キャプテンを務めるようになった。そしてEURO2016のデンマーク代表、2018年FIFAW杯などでも代表キャプテンも務める。そしてUEFAネーションズリーグ2020で2020年10月14日対チェコ戦にて代表100試合出場を果たした。主将として出場したEURO2020第1節・フィンランド戦にて、試合中に突如昏倒したチームメイトのクリスティアン・エリクセンに対していち早く気道を確保する行動を取り、結果的にエリクセンは意識を取り戻した。さらに、ピッチサイドでショックを受けているエリクセンの妻・サブリナ夫人をカスパー・シュマイケルと共に励ましたり、治療を受けるエリクセンを囲んで壁を作るよう選手たちに声を掛けるなど、一連の行動は世界中から称賛された。

プレースタイル

彼はベテランらしい読み、ポジショニングによって地上戦に強く、さらに恵まれた体格を生かし空中戦にも強い。さらにチームの中であらやる守備スタッツで最高レベルの値を記録している。さすがに年齢と共にスピードは衰えているもののそれを補って余りあるほどの経験でカバーしている。さらに特筆すべきはファールの少なさである。ペナルティーエリア内では落ち着いた守備対応でピンチの芽を刈る。チームの守備陣は若く、経験が少ない中、お手本、精神的支柱としてチームを引っ張っている。さらにビルドアップも安定していて、ロングパス成功数もチーム内で最高レベルの数値をたたき出している。

今シーズンの主なスタッツ

リーグ戦

  • アシスト           2回
  • パス成功率          88%
  • ロングパス成功率       56%
  • クリーンシート        8回
  • 1試合平均インターセプト数  1.5回
  • 1試合平均タックル      1.6回
  • 1試合平均クリア数      4.3回
  • デュエル勝率         58%
  • 1試合平均ファウル数     0.9回
  • イエローカード        3枚

ヨーロッパリーグ

  • 得点            1点
  • パス成功率          87%
  • ロングパス成功率       47%
  • クリーンシート        1回
  • 1試合平均インターセプト数  2.0回
  • 1試合平均タックル      2.0回
  • 1試合平均クリア数      3.0回
  • デュエル勝率         63%
  • 1試合平均ファウル数     1.4回
  • イエローカード        1枚

参照  sofa score

プレー動画

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